2024年年末から、フジテレビが話題となっています。
その件について2025年1月27日午後4時から、記者会見が行われます。
会見ではフジ・メディア・ホールディングス(FMH)の社長・金光修氏が出席。今後のフジグループの方向性を示す発言をするものと予想されています。
金光社長とはどのような人なのでしょうか?フジテレビには途中入社したということですが、グループの社長の座についた、凄腕の人物ということです。
本日は、FMHの取締役社長・金光修氏についてお知らせしていきます。
金光修の高校と学歴や経歴&プロフィール!早稲田大学卒で西部百貨店入社!

名前:金光修(かねみつ おさむ)
生年月日:1954年10月28日
出身地:東京都
最終学歴:早稲田大学第一文学部
肩書:フジ・メディア・ホールディングス(FMH)の代表取締役社長、フジテレビジョンの取締役
金光修氏の高校に関する情報は見つりませんでしたが、1978年に早稲田大学卒業しました。
その後は西武百貨店に入社し、マーケティング部門で勤務。
小売業界での経験を積み、特にSEED館の開業に関与しました。
西部に入社して5年のある日、フジテレにの中途採用情報を知ります。
新しい挑戦と可能性を求め転職を決めます、
フジテレビへ中途入社でフジ・メディア・ホールディングスの代表取締役社長へ!

フジでは番組企画を希望したものの、実際はイベント担当に配属。
地方の演歌ショーの開催を担当します。
しかしこの時の経験が、後のキャリアに影響を与えることになります。
金光修氏の主な経歴は以下の通りです。
1997年 | CS放送スカイパーフェクトTVの立ち上げ |
1999年 | BSフジの編成部長としてデータ放送システム構築や番組企画に携わる。 |
2009年 | フジテレビ経営企画局長 |
2012年 | FMH執行役員経営企画局長 |
2013年 | FMH常務取締役広報室・経営企画担当 |
2015年 | FMH専務取締役広報室・経営企画・財経担当。 |
2019年6月 | フジ・メディア・ホールディングスの代表取締役社長に就任 |
2012年以降、金光修は経営陣としてデジタル化への対応や新規事業開拓に努めました。
金光氏のリーダーシップで、旧来のテレビ環境のみならず新しいメディア環境への適応を促進し、視聴者とコミュニケーションの機会を拡大する戦略を次々展開しています。
また、組織改革・及び経営合理化を進めるため希望退職を募りました。
2021年には外資規制法問題で国会に参考人として出席し謝罪を行ったこともあります。
2022年フジテレビ社長職は港浩一(現職)に譲り、FMH社長に専念してきました。
『料理の鉄人』と『私をスキーへ連れてって』のヒットを生んだ凄腕!

金光修が携わった映像プロジェクトは以下の2つです。
1990年代放送の番組。フジテレビの黄金時代のシンボルともいえる番組の一つです。金光修が制作に関与したことは、同局のブランド力向上に大きく寄与しました。
それまで料理番組といえば、レシピを紹介するのみでしたが、バラエティーの要素をといりれたこの番組は話題を呼び、人気番組となりました。
また料理バラエティの先駆けとなりました。のちには同番組を模倣した料理番組も多く製作されました。番組内で紹介されたシェフはタレントとしても人気を得、世間で注目を集めました。
アメリカのテレビ番組に送られるエミー賞にノミネートされるなど、国際的にも成功を収めました。
金氏氏はこの映画の企画製作に関わっています。80年代後半から90年代初めまでの日本映画ブームを巻き起こしました。
当初は担当部署から反対されたといいます。
しかしフジテレビが「おもしろいからやってみろ」とプロジェクトを進めることに。
結果、作品は大ヒットを記録、一代スキーブームを呼びました。またフジテレビの映画制作部門の絶対的な地位を確立しました。
まとめ:金光修社長の経歴!早稲田からフジ中途採用であの映画をヒットさせた凄腕!
本日は、フジメディア・ホールディングス社長、金光修氏についておしらせしてきました。
早稲田大学卒業後、西武百貨店に勤務。5年間の勤務の後フジテレビに入社します。
フジテレビでは、地方の演歌ショーを担当しながら製作の経験を積みます。
そして、『料理の鉄人』と『私をスキーへ連れてって』というヒット作品を生み出し、業界におけるフジの地位とその後の方向性を定めました。
このような業績がみとめられ、フジ・メディア・ホールディングスという巨大企業の取締役社長の座に就いたのです。
今日の記者会見での発言に注目ですね。





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