2025年3月20日、兵庫県設置の文書告発問題に関する第三者委員会が「明らかに違法」との見解を発表しました。
百条委委員会よりも厳しい判断です。
この報告書に法的拘束力はないとはいえ、齋藤知事は更なる逆風にさらされることになるでしょう。
この第三者委員会の委員長を務める藤本久俊弁護士は、兵庫県知事・齋藤元彦氏と同じく東大出身です。
本日は藤本久俊弁護士の経歴や学歴について、調査した内容をお伝えしていきます。
藤本久俊弁護士の学歴とプロフィール!六甲学院から東大法学部!
【兵庫県知事】第三者委員会 10項目でパワハラ認定
— 報道ステーション+サタステ (@hst_tvasahi) March 19, 2025
職員への叱責や、夜間・休日のチャットなど10件をパワハラや不適切な言動にあたると認定。また、告発文書を作成した元局長への懲戒処分は違法で無効だと断じた
兵庫県 斎藤元彦知事… pic.twitter.com/B381bEhopl
名前:藤本久俊
出身地:兵庫県
生年月日: 1955年(昭和30年)12月30日(2025年現在 70歳)
出身地:兵庫県
学歴:六甲学院中学・高等学校から東大
中学1年生から剣道部に所属。
しかし自身が語るところによると
「幽霊部員みたいなもの」
とのことです。
高校1年生の秋は新人戦に出場しましたが、2年生になって、部活に参加しなくなりました。
中学1年と高校3年時、文化祭で劇に出演。
役者不足で突然の出演だったため、セリフは
「はい」
の一言だけでした。
また高校2年生の時は、土曜になると神戸三宮のビック映劇という映画館に通い、映画鑑賞を楽しみました。当時オードリーヘップバーンの作品をよく見ていたそうです。
高校卒業後は東京大学法学部に進学。
大学時代は県人寮に入居し、他県から来た学生との交流にいそしみます。
また貧困地域での活動に深くかかわり、この経験がのち、法曹界へという進路選択に大きな影響を与えました。
藤本弁護士は「苦しい立場の人の味方になる法律家」を目指すきっかけになったと、語っています。
司法試験は東大在学中に合格。
1982年、6年かけて東京大学を卒業しました。
藤本久俊委員長の経歴は?裁判官としてのキャリア!

東大卒業後は、裁判官に就任します。
元々は弁護士希望でしたが、
「裁判官としても(苦しい立場の人のために)できることがある」
と考えました。
そして、1988年まで各地で勤務します。
1982年4月13日 ~ 1984年3月31日 | 東京地裁判事補 |
1984年4月1日 ~ 1987年3月31日 | 神戸地家裁尼崎支部判事補 |
1987年4月1日 ~ 1988年7月30日 | 大阪地裁判事補 |
しかし1988年7月31日には依頼退官します。
この時藤本氏は33歳。
退職の理由は実家の事情に加え、裁判官という仕事において理想と現実のギャップを感じるようになったようです。
判決を言うだけの自分の仕事について疑問が湧いてきたのです。
そして大阪の法律事務所で6年勤めた後、兵庫県芦屋で弁護士事務所を開きました。
この時に対応した相談で改めて勉強になったと、以下のように明かしています。
そして2002年、日弁連などからの誘いもあり、もう一度裁判官となります。
2002年8月1日~ 2004年3月31日 | 福岡高裁判事(弁護士任官・大弁) |
2004年4月1日 ~ 2005年.3月31日 | 大阪高裁11民判事 |
2005年4月1日 ~ 2007年3月31日 | 大阪高裁13民判事 |
2007年4月1日 ~2008年3月30日 | 大津地裁民事部部総括 |
そして2008年3月31日、52歳の藤本氏は二度目の 依願退官をします。
藤本久俊の弁護士としての二度目の出発!【アーネスト法律事務所】勤務と六甲伯友会会長!

兵庫県神戸市に事務所を置く【弁護士法人アーネスト法律事務所】
藤本弁護士は、この事務所の弁護士として勤務し始め、現在に至ります。
また、2020年4月より六甲学院のOB会で、70年以上の歴史を誇る『六甲伯友会』の会長に就任。
世代を超えた同窓生たちが交流をはかり、基金の創設や学校行事への参加など母校との関わり・連携を進めています。
まとめ:藤本久俊第三者委員会委員長の経歴は?東京大学卒でアーネスト法律事務所勤務!
本日は、兵庫県の文書告発問題に関して設置された、第三者委員会の委員長を務める藤本久俊弁護士の学歴や経歴について、お知らせしてきました。
兵庫県出身の藤本氏は、関西の名門六甲学院中学・高校を卒業後、東京大学法学部に進学します。
貧困地域での活動に関わり、将来「苦しい人を助けたい」と思い弁護士をめざします。
在籍中に司法試験合格。
しかし裁判官としての経験もキャリアの役に立つと考え、大学卒業後は裁判官としてキャリアをスタート。
その後、2度の依頼退官。
そして現在、弁護士として、苦しい立場の人に寄り添った法律家として活躍しています。




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