藤本久俊弁護士の経歴は?東京大学卒で裁判官からアーネスト法律事務所!

スポンサーリンク

2025年3月20日、兵庫県設置の文書告発問題に関する第三者委員会が「明らかに違法」との見解を発表しました。

百条委委員会よりも厳しい判断です。

この報告書に法的拘束力はないとはいえ、齋藤知事は更なる逆風にさらされることになるでしょう。

この第三者委員会の委員長を務める藤本久俊弁護士は、兵庫県知事・齋藤元彦氏と同じく東大出身です。

本日は藤本久俊弁護士の経歴や学歴について、調査した内容をお伝えしていきます。

スポンサーリンク
目次

藤本久俊弁護士の学歴とプロフィール!六甲学院から東大法学部!

名前:藤本久俊
出身地:兵庫県
生年月日: 1955年(昭和30年)12月30日(2025年現在 70歳)
出身地:兵庫県
学歴:六甲学院中学・高等学校から東大

中学1年生から剣道部に所属

しかし自身が語るところによると

「幽霊部員みたいなもの」

とのことです。

高校1年生の秋は新人戦に出場しましたが、2年生になって、部活に参加しなくなりました。

中学1年と高校3年時、文化祭で劇に出演。

役者不足で突然の出演だったため、セリフは

「はい」

の一言だけでした。

また高校2年生の時は、土曜になると神戸三宮のビック映劇という映画館に通い、映画鑑賞を楽しみました。当時オードリーヘップバーンの作品をよく見ていたそうです。

高校卒業後は東京大学法学部に進学

大学時代は県人寮に入居し、他県から来た学生との交流にいそしみます。

また貧困地域での活動に深くかかわり、この経験がのち、法曹界へという進路選択に大きな影響を与えました。

藤本弁護士は「苦しい立場の人の味方になる法律家」を目指すきっかけになったと、語っています。

司法試験は東大在学中に合格

1982年、6年かけて東京大学を卒業しました。

藤本久俊委員長の経歴は?裁判官としてのキャリア!

画像引用元:X

東大卒業後は、裁判官に就任します。

元々は弁護士希望でしたが、

と考えました。

そして、1988年まで各地で勤務します。

1982年4月13日 ~ 1984年3月31日東京地裁判事補
1984年4月1日 ~ 1987年3月31日 神戸地家裁尼崎支部判事補
1987年4月1日 ~ 1988年7月30日 大阪地裁判事補

しかし1988年7月31日には依頼退官します。

この時藤本氏は33歳。

退職の理由は実家の事情に加え、裁判官という仕事において理想と現実のギャップを感じるようになったようです。

判決を言うだけの自分の仕事について疑問が湧いてきたのです。

そして大阪の法律事務所で6年勤めた後、兵庫県芦屋で弁護士事務所を開きました。

この時に対応した相談で改めて勉強になったと、以下のように明かしています。

1.犯罪の多くは貧困が原因である
2.こういう立場の人達と接し、再びしっかり考えよう


そして2002年、日弁連などからの誘いもあり、もう一度裁判官となります。

2002年8月1日~ 2004年3月31日 福岡高裁判事(弁護士任官・大弁)
2004年4月1日 ~ 2005年.3月31日 大阪高裁11民判事
2005年4月1日 ~ 2007年3月31日 大阪高裁13民判事
2007年4月1日 ~2008年3月30日 大津地裁民事部部総括

そして2008年3月31日、52歳の藤本氏は二度目の 依願退官をします。

スポンサーリンク

藤本久俊の弁護士としての二度目の出発!【アーネスト法律事務所】勤務と六甲伯友会会長!

画像引用元:X

兵庫県神戸市に事務所を置く【弁護士法人アーネスト法律事務所】

藤本弁護士は、この事務所の弁護士として勤務し始め、現在に至ります。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

大阪出身。通訳&マーケティングの仕事がら文章をわかりやすくまとめることが得意。このサイトでは、多くの方々の気になる話題にお答えしていくため、リサーチにぬかりはありません。ジャズとオペラが好きで自らも歌うアラカン寄りのアラフィフ。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次