元フジテレビアナウンサーの長谷川豊さん。
最近はホリエモンこと堀江貴文さんのYouTubeチャンネルに登場、色々ば情報を発信しています。
長谷川さんは、立命館大学を卒業しフジに入社した優秀な人ですが、卒業して高校は一風かわています。
その高校とは『日生学園第一』です。
在籍していた芸能人には、浜田雅功さんや今田耕司さんがいます。
本日は、長谷川豊さんの高校である『日生学園第一』について、またなぜ長谷川さんがこの高校を選んだのかについて、深堀していきます。
長谷川豊アナウンサーの学歴とプロフィール!立命館大学からフジテレビ入社!
出身地:奈良県奈良市
生年月日: 1975年8月12日(2025年現在 49歳)
血液型: B型
卒業中学校:洛星中学
卒業高校:日生学園第一
最終学歴: 立命館大学産業社会学部
職歴:フジテレビアナウンサー(1999年入社ー2012年6月)
フジテレビ著作権契約部勤務(2013年4月1日まで)
職業:経営者、実業家
所属:OFFICE HASEGAWA, 株式会社Media STARS
長谷川さんの経歴とプロフィールはこちらでも紹介しています。
長谷川豊の高校は日生学園第一!スパルタ教育で毎朝6キロ走と真冬の冷水責め!
長谷川豊さんは、中学を一浪して全寮制の男女共学校、日生学園第一(偏差値40)に入学しました。
1991年4月、三重県の近鉄大阪線青山町駅から3キロほど先の日生学園へ向かいました。
初日の夜から寮の床を磨く全力心行が課せられました。生徒たちは皆「わっしょい!」と絶叫しながらそうじをします。
翌日から朝の名物「マラソン」が始まります。
朝は5時半起床、三列縦隊で約6キロを「わっしょい!」と叫びながら走ります。
歩調の乱れは許されません。教員から拳がとんでくることもあります。それでも「わっしょい!」と声を振り絞りながら進まなければなりません。
新入生は普通3日目で声が出なくなるそうです。
その他の独特な校風の一部を列挙ます。
スパルタが徹底しています。
この他に、先輩の卒業式1カ月前から、毎朝50杯の冷水を浴びせられるというのもあります。
大浴場の浴槽に水が貼ってありますが、真冬のため表面が凍っています。それを素手で割って先輩に浴びせられるというのです。それも50杯近くです。
この経験のおかげで、インフルエンザくらいでは熱を出さなくなった、と明かしています。
こんな厳しい学校なら、逃げたくなるのは当然でしょう。実際脱走する生徒もいたそうです。
最寄り駅まで3キロを走って逃げるのですが、日生学園の生徒は毎日マラソンで鍛えているのため、逃げる方も捕まえる方も俊足で、すぐつかまってしまうということです。
こんな高校を、長谷川さんは脱走することなく卒業したのです。
長谷川さんが在学中だった1992年4月の初め、先輩が殴られた後命を落とすという事件がありました。
ニュースでも大きく報じられ、学校は批判を受け変革を迫られました。
それをきっかけに、全寮制であることを生かし進学校へと方向転換を進めていきます。
長谷川さんは教員に依頼され、柔道部に所属しながらも、当時なかった文化部・演劇部や合唱部、アナウンス部に弁論部を設立しました。
そして創立後まもなく、合唱部は県大会出場、演劇部は中部大会への出場をはたすという快挙を成し遂げます。
長谷川さんは弁論大会で全国3位に輝き、学園の名声に寄与しました。
こうして今では、イギリスの名門イートン校に習い「全人教育」を謳う学校へと変化を遂げました。
長谷川豊が日生学園第一を選んだ理由は?
長谷川さんの中学は地元奈良に近い京都の名門洛星中学。
偏差値は69で、全国模試で3位の成績を取るほど優秀な長谷川さんが、どうして偏差値40の日生学園第一高校に進学したのでしょうか。
長谷川さんの父親は大阪大学卒業、母親は京都教育大学を卒業してエリート一家です。洛星中学は父親に勧められ受験しました。
しかし高校進学にあたり、長谷川さんは名門洛星中学とは正反対の環境で過ごししたいと考えていました。そこで叔父に相談したところ日生学園を勧めてくれた、と言います。
2024年12月10日の現代ビジネスで、その時の心境をこう語っています。
「生理学的に『多感』と呼ばれる時期に、勉強ばかりしていて良いのだろうか、高校3年間のファーストプライオリティが勉強で良いのだろうか。そう思うようになったのです。だから、まず洛星高校への進学をやめる決断をしました」 情報引用元:https://gendai.media/
本人の意思と決意が固いものでしたが、この大胆な決断に周囲は驚きます。
洛星中学の教員3名が、長谷川さんの実家・奈良までやってきて説得にあたりますが、長谷川さんは、教師たちにこう伝えました。
「学生にとって勉強は大事なことだ。おっしゃることはわかります。でも第一優先ではない。私は人間には三つ大事な力があると考えています。過去を分析する力、今を生きる実行力、未来に何が起こるかを感じ取る力です。
三つ目の力を養うには、経験を積むしかない。だから、私は洛星高校以外の学校に進学したいのです。私の直感はおそらくあっていると思います。だからお帰りください」
やはり頭のよい優秀な生徒だったというのがわかりますね。
長谷川さんは、日生学園入学初日に見た同級生達の第一印象を、洛星中学時代の生徒と比較して次のように語っています。
「洛星の子たちは勉強はできるんです。」
「でも、勉強ばかりしている姿が実はかっこ悪いかもしれない。そんなことが客観的に理解できない。脆いし打たれ弱い。実行力もない。そんな子たちが多かったように思います。」
「対する日生学園の連中は体感で8割がネンショ―、つまり少年院出身、2割がキョヒ(登校拒否)というメンツでした。相手が誰であろうが、ムカつくことがあればちゃんと怒る。胸倉をつかんででも自分の怒りをあらわにする。よっぽど人間味があるし、素敵な子たちだったと思います。」
情報引用元:https://www.gendai.media/
長谷川さんが日生学園に対する思いを語った、現代ビジネスのインタビューから引用です。
「弁護士や医師などお金持ちの子どもたちに囲まれ、3年間を勉強に費やし過ごす。そんな洛星高校ではできなかった経験だったと思います。言うなれば私は、日生学園に人間にしてもらったような感覚があるのです。世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな思いを抱えながら生きている。それでよいのだ、それで当たり前なのだ。日生学園にはそう教えてもらったような気がしています」
情報引用元:https://www.gendai.media/
日生学園第一(現在:桜が丘高等学校)の概要!
1992年の事件以来、大きく変化を遂げた日生学園第一は、2015年に桜が丘高等学校と改名されました。
かつての厳しい校則は緩和され、一般的な教育環境へと生まれ変わりました。
また進学校としての役割を果たし、卒業生の進路は東大や京大など国公立大学や、早稲田や慶應、明治など有名私大も名を連ねています。
学校へのアクセスはこちらです。
まとめ:長谷川豊の高校は日生学園第一!毎朝6キロ走と冷水50杯のスパルタ教育!
本日は、長谷川豊さんの高校・日生学園第一についてお知らせしました。
中学での成績が優秀だった長谷川さんは、親の敷いたレールを進むことを良しとせず、あえて真逆の環境に身をおきます。
それは想像を絶する環境で、スパルタ教育が行われていまたが、長谷川さんはその環境に乗り越え無事卒業、立命館大学に進学しアナウンサーとなりました。
そして、今では中高一貫の進学校として生まれ変わった日生学園第一は、桜が丘高等学校と名称を改めました。
令和の時代にふさわしい学校になったようですね。長谷川さんはどう感じているでしょうか。
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