柿の種やハッピーターンでおなじみの亀田製菓。社長はインド人ということが最近ネットで話題になっています。
ジュネジャ・レカ・ラジュ氏はインドで大学を卒業後、日本で博士課程を修了した超エリートです。
数社の日本企業で重要なポストに就任し、会社の成長に大きく貢献。現在は亀田製菓のCEOです。
でもなぜ亀田製菓に?と驚きですよね。しかも今では帰化して日本国籍を取得したとの話です。
本日は亀田製菓CEO・ジュネジャ・レカ・ラジュ氏についてお知らせしていきます。
ジュネジャ・レカ・ラジュの年齢は72歳!経歴やプロフィール!
名前:ジュネジャ・レカ・ラジュ
生年月日:1952年3月3日(2024年現在 72歳)
出身地:インド・ハリヤナ州
学歴:名古屋大学大学院生命農学研究科博士課程修了
現職:亀田製菓代表取締役会長兼CEO
趣味:仕事
インドのパンジャブ大学理学部で生物反応工学を学び、微生物学の修士課程の取得しました。
その後海外のフェローシップ制度を利用して、1984年日本に留学。
インド人の多くは英語が通じる米国やスイスなどを選択することが多いのですが、ジュネジャ・レカ・ラジュ氏は日本の大阪大学を選びます。
当時大阪大学では発酵・微生物学では世界トップクラスの教授がいたというのが理由です。
また他の理由として、治安が良く、安全な国というのも、すでに家族がいたラジュ氏にとっては大切な要因でした。
大阪大学工学部の研究員として発酵技術を学びます。
1989年に名古屋大学院の博士課程を修了。同年、食品素材メーカーの太陽化学へ入社します。
太陽化学での実績
『世の中にない物を作る』という社命を受け、食品素材や機能性食品の開発に関わりました。ここでのラジュ氏の主な功績は以下の通りです。
そして瞬く間に出世、2003年には代表取締役副社長に就任しました。
その後は複数の海外グループ会社の最高責任者を兼任しました。
ロート製薬では国内初のチーフヘルスオフィサー
2014年ロート製薬の取締役副社長に就任。
CHO(チーフヘルスオフィサー)として、社員の健康を重視した健康経営の在り方を追求。
グループ海外子会社の会長を兼任し、120か国以上で1800億円規模に上るグループビジネスの経営管理に携わります。
ロートグループの国際市場拡大に多大な貢献をしました。
亀田製菓代表取締役副社長(2020年)
亀田製菓に入ったきっかけは田中通泰氏(前会長で現取締役シニアチェアマン)との出会いです。
亀田製菓をどう思うかとの質問に、ラジュ氏はこのように答えました。(2022年12月1日のインタビューからの引用)
「人が生きるためには必ず食がいる。だから亀田製菓はなくなりません。時代に合った食を作っていけば持続可能なビジネスモデルになるのではないでしょうか」 情報引用元:https://business.nikkei.com/
その後、亀田製菓の若い幹部の集いに参加する機会を通し、亀田製菓への入社へとつながっていきました。
2022年6月に第表取締役会長に就任。会長と役員を兼任し、現在に至ります。
亀田製菓社長はインド人!国籍は今は帰化して日本人?
ジュネジャ・レカ・ラジュ氏は、1989年から日本に滞在、現在では日本国籍を取得しているという情報がありました。
家族を連れての来日でしたが、妻や子供の帰化に関する情報は見つかりませんでした。
来日したての時は言葉の壁はもちろん、刺身など調理しないで食べる習慣にずいぶん驚いたそうです。
今では日本語はペラペラで、毎日の食事の7~8割は和食です。
社員食堂では焼き魚やひじきなどを、「おいしくて健康的だ」と進んで食事に取り入れています。
また日本人は食に関する感覚が繊細だと言います。
その証拠は食感を表す表現の多様性にある、と言います。
「パリパリ」「シャリシャリ」「とろり」
といったオノマトペの多いのは、日本人が微妙な食感の違いを分別できるからだということです。
職業がらか、食に関しては日本人以上に日本人のことを理解しているのですね。
亀田製菓の歴史と会社概要!
社名:亀田製菓株式会社
創業」:1946年9月
資本金: 19憶4,613万円
本社:新潟県新潟市江南区亀田工業団地3⃣チョウ目1番1号
従業員数:4.040名 (2024年3月31日時点)
1946年に亀田町の農民が共同出資で組織した亀田郷農民組合が、水飴の製造を始めたのが始まり。
1950年に法人化、水飴から米菓の製造へと移行しました。
1960年のあられ「サラダホープ」が記録的大ヒット。
1966年「ピーナッツ入り柿の種」、翌年「サラダうす焼」を発売。
1975年には米菓売り上げ日本一になります。
1976年「ハッピーターン」、翌年「梅の香巻」の発売。
国内での業績はしばらくは順調ですが、嗜好の変化や選択肢の増加のため、かつての勢いを徐々に失っていきます。
昔から亀田製菓に親しんでいる世代には驚きかもしれません。
しかし日本人の米離れは、主食としてコメだけではないのです。
日本人のせんべい離れも例に漏れず、総務省の調査によると1世帯当たりのせんぺい購入にかける金額は平均して年間5948円で、2000年から2022年までほとんど変化がありません。
若い世代になるとさらに低い数字です。
そのため国内での顧客獲得と同時に海外展開が必須です。
2008年アメリカカリフォルニア州に「KAMEDA USA」を設立。
2012年には海外での販路拡大のため、韓国の食品メーカー「農心」と手を組みます。
2022年、ジュネジャ・レカ・ラジュ副社長が会長CEOに就任します。
現在、亀田製菓では海外戦略の一環として海外向け商品開発部門を開設、海外出身の社員を大幅に増員しました。
また、コメを使用した代替肉の開発や、亀田製菓が世界で初めて開発した『コメ由来の乳酸菌』の活用・販売に期待をよせています。
まとめ:ジュネジャレカラジュの経歴や年齢は?72歳で帰化した亀田製菓CEO!
本日は、亀田製菓のCEOであるジュネジャ・レカ・ラジュ氏について、お知らせしてきました。
研究生として、1984年に来日、大阪大学で学んだ後、名古屋大学大学院にて博士課程を修了しました。
その後は日本企業3社で取締役を務め大きな業績をあげました。
現在は『柿の種』や『ハッピーターン』で知られる亀田製菓んぼCEOとして、海外市場と、コメの可能性の拡大を目標としています。
日本滞在40年で流暢な日本語をあやつり、日本食を愛するジュネジャ・レカ・ラジュ氏です。
今後亀田製菓がどのような変化や成長を遂げていくのか、注目していきましょう。
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