【画像】南野陽子の父親の職業は?サラリーマンから芸能事務所社長に!

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南野陽子さんは1984年に女優デビューして以来、ドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」や「はいからさんが通る」など数々の名作に出演。

歌手としても多くのヒット曲を生み出し、長年にわたり多彩な才能で私たちを魅了してきました。

最近では2020年代に入り神戸松蔭大学の客員教授に就任するなど、新たなフィールドでも輝きを放っています。

そんな彼女の人生を支え続けたのが、2022年に他界された父親の存在でした。

父親は、サラリーマンを辞めて、南野さんの個人事務所を手伝っていました。

今日は父親の職業や南野さんとのエピソードに調査した結果をお知らせしていきます。

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目次

南野陽子の学歴&経歴とプロフィール!

名前:南野陽子(みなみの ようこ)
生年月日:1967年6月23日(2025年現在 58歳)
出身地:兵庫県伊丹市
学歴:神戸私立松蔭女子学院中学・高校から堀越高等学校に転校
職業:女優、歌手

芸能界入りのきっかけは高校時代、友人と大阪の公開番組を観覧中にスカウトされました。

両親は猛反対をしますが、

と上京を決意。

1984年にテレビドラマ「名門私立女子高校」で女優デビューを果たしました。

翌年の1985年6月23日、自らの18歳の誕生日に「恥ずかしすぎて」で歌手としてもデビューすると、一気に人気を集めます。

1985年放送のドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で主演を務めブレイク。

決めセリフは大流行しました。

映画版でも新人俳優賞を受賞。

出演ドラマやCMが次々にヒットし、「10代の女神」と称されます。

80年代後半に最も活躍したアイドル四天王(南野陽子、中山美穂、朝香唯、工藤静香)でした。

女優としては、1992年の映画『私を抱いてそしてキスして』の主演で、第16回日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。

年に1本は舞台劇にも出演し活動の幅を広げました。

2008年には出身地の伊丹大使に就任。

ファッションブランドの企画・デザインにも挑戦しました。

さらに2025年には母校の神戸松蔭大学で客員教授に就任、地域や後進の育成にも熱心に取り組んでいます。

【画像】南野陽子の父親の名前は英夫!職業はサラリーマンから芸能事務所社長でステージパパに!

画像引用元:https://www.nhk.jp/

父親は南野さんの個人事務所の社長を務めました

南野さんが幼いころから、父親には挨拶や言葉使いがちゃんとできるように躾られました。

厳しい反面、夜なかなか寝付けない南野さんの枕元で『太郎と花子』という創作話をして寝かしつけてくれた優しい父親でした。

小学生になると、休みの日は車でドライブしたり、父娘2人で映画をみて、プリンアラモードを食べに連れて行ってくれたりしたそうです。

娘の芸能界入りには強く反対しましたが、南野さんが頑張る姿をみているうちに応援するようになります。

南野さんが22歳の時独立、個人事務所・サザンフィールドを設立します。

しかし南野さんは経営については全くわかりません

そこで父親はそれまで続けてきたサラリーマンとしての仕事を離れ、事務所の一員として経営面で南野さんを支えました。

きめ細やかに娘のスケジュールを調整したり、プロダクションとの連絡役としても活躍したのです。

芸能界に不慣れだった父親は、少しうつ状態になったこともありました。

しかし南野さんには黙ったまま、頑張っていたのです。

娘の芸能活動を詳細にサポートする父親を

といわれることもありましたが

娘の夢を尊重し支え続けた素敵な父親ですね。

南野陽子が父親を介護した10年以上の年月!

画像引用元:ameblo.jp/ninnoomoinomamani/

南野陽子さんの父は2022年に他界

2011年に母親が他界してから、兵庫県に1人暮らしだった父親を東京に呼び寄せます。

最初は南野さんの自宅に同居していましたが、仕事が忙しく、少し体の不自由な父親の世話を思うようにできないことから、神奈川県の高齢者施設を利用しました。

月に数日は自宅で過ごし仕事がある間は施設にいてもらうということで、南野さんの心配や負担が減りました。

その後は温泉が好きな父親のために、箱根の温泉付き施設にうつります。

南野さんは定期的に父親を外食に誘い、幼い時のように父娘との外出を楽しみました。

NHKハートネットTVでは南野さんと父親のエピソードをこのように紹介しています。

昔は難しい顔しか見たことがなかったのに、「こんなに笑顔がある人だっけ?」とか、「そんなに食べ物に執着してたっけ?」みたいな。  ……………………..略………………………
すごく喜んで腕まくりして食べて、「おかわり!」みたいなこと言うんですよ。
情報引用元:https://www.nhk.jp/

父親の健康が徐々に衰えていく中でも、南野さんはできるだけ父親と一緒に外出をして、父親の笑顔を増やそうと努力したのです。

父と写真を撮るのも楽しみだったと言っています。

写真を撮ることがわりと日常の家で、これは母のひどいジョークなんですけど、写真を撮る時に「はい、チーズ!」のかわりに「はい、遺影!」ってシャッターを押していた家だったんです。
情報引用元:https://www.nhk.jp/

南野さんの温かい介護に励まされ、父親は最期の時間まで楽しく過ごせたのではないでしょうか。

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まとめ:【画像】南野陽子の父親の仕事は?サラリーマンから芸能事務所社長に

今日は南野陽子さんの父親の職業を中心にお伝えしてきました。

内容まとめ
  • 南野陽子さんは兵庫県伊丹市出身、1984年に女優デビュー、1985年に歌手デビューして人気を博した
  • 父親は芸能界入りを大反対。しかし徐々に理解を示した
  • 南野さんが個人事務所を設立すると、経営を手伝い娘を支えた
  • 「ステージパパ」と揶揄され、慣れない業界での業務でうつ状態になったこともあった
  • 南野陽子さんは父親の介護と仕事を10年以上両立
  • 父親は2022年に他界

南野さんの人生は、芸能界の華やかさだけでなく、家族との深い愛情と支えによって成り立っていることがよく分かりますね。

南野陽子さんのこれからの活躍も注目しましょう。

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この記事を書いた人

大阪出身。通訳&マーケティングの仕事がら文章をわかりやすくまとめることが得意。このサイトでは、多くの方々の気になる話題にお答えしていくため、リサーチにぬかりはありません。ジャズとオペラが好きで自らも歌うアラカン寄りのアラフィフ。

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