パリ五輪出場を決めた太田海也競輪選手
日本発祥の競輪は2000年シドニー五輪で種目入り、日本のメダルは北京オリンピックでの永井清史の銅獲得のみ。
太田海也選手は、そのケイリン種目でメダル獲得が期待されるアスリートの内の一人です。
本日は、太田海也選手について、こんなことをお伝えしていきます。
太田海也選手が獲得した賞金はいくら?
今までに獲得した賞金総額は?
どういう経緯で自転車競技の世界に入ったの?
太田海也イケメン競輪選手のプロフィール
本名:太田海也(おおた かいや)
生年月日:1999年7月27日(2024年現在24歳)
出身:岡山県
身長:174㎝
体重:78㎏
職業:競輪選手
所属:日本競輪選手岡山支部
子どものころから体操やレスリング、ラグビーなど多種多様な競技に取り組み、最終的にたどり着いたのが自転車競技・ケイリン。
2021年1月、日本競輪選手養成所121期生としてスタート、同年6月の第1回記録会ではゴールデンキャップを獲得し、選手としての可能性の高さを示しました。
その後の訓練でも早期卒業要件をクリアしたため、同期に先駆け年内で養成所卒業となります。
デビュー戦は2022年1月20日の小倉FII、初勝利を挙げます。続く3場所でのレースで連続勝利を果たしA級2班へ昇班。
2023年2月26日、インドネシア・ジャカルタで開催されたトラックネーションズカップ第1戦スプリントで銀メダルを獲得する。3月17日のカイロでのケイリンで銀メダル、翌日のスプリントで銅メダルを手にしました。
同年、12月28日の立川競輪場でのヤンググランプリで優勝。自転車競技に彗星の如く現れた太田海也選手は2023年の優秀新人賞も獲得しました。
太田海也の賞金年間総額は1000万円!
2022年の獲得賞金額は1千万円超えを果たし、新人賞金ランキング2位でした。
2023年12月の立川競輪ヤンググランプリでは、2位と3/4車差をつけ、優勝賞金650万円を獲得したため、公式発表はありませんが、この年も賞金総額は軽く1千万越えです。
とにかく、デビュー以来快進撃を続ける太田選手は、2023年アジア大会(中国・杭州)スプリントで金、2024年3月17日の2024ネーションズカップ(オーストラリア・アデレード)で金を獲得。パリ五輪の短距離エースと金メダルに十分手が届くアスリートです。
こちらは2024年5月のUCIトラックサイクリングナショナルカップの様子です。
太田海也はサイクルショップ勤務から競輪選手で通算賞金4000万獲得!
2023年12月29日の発表によると通算獲得賞金は4094万円! 2021年に養成所に入って本格的な自転車競技の訓練を開始してからわずか3年間で稼いだ金額です。
太田選手が自転車競技を始めたきっかけは、サイクリングショップ勤務です。ではなぜ自転車屋で仕事をしていたのでしょうか?その前からお話しましょう。
太田選手は地元岡山県立備前緑陽高等学校の名物部活、ボート部に所属していました。
全国高等学校選抜ボート大会シングルスカルで準優勝、高校総体ダブルスカルで優勝など、めざましい活躍で日本体育大学進学後もボートを続けます。
しかし小柄なため成績が伸び悩んだことと腰痛が悪化。日本代表にもなれない自分が、世界一を目指すのは不可能とポートを断念。挫折感を味わい大学も中退します。入学から7カ月後でした。
そして岡山へ戻り、アルバイトへ行くための自転車を買いに立ち寄った店で、オーナーの恒次智さんと話しをするうち店で働くことになりました。
下の画像は太田海也選手は働いていた岡山のサイクリングショップです。
働きながら自転車について学び、店で一番高級な100万円の自転車を購入。趣味として毎日40キロを走るようになります。そうしているうち、オーナーの恒次さんに競技を勧められ、最初は躊躇するものの一般の部に出場、優勝。
結果どんどんのめり込み2年務めたサイクルショップを退職して、養成所に入所。競輪の世界へと一歩踏みだし、今日に至ります。
ボートから自転車へ競技転向、パリ五輪出場権を獲得するまでわずか4年でした。
まとめ:太田海也の賞金は年間1000万!自転車屋勤務から競輪選手で通算4000万!
本日はボート競技から自転車競技へと転身後、わずか4年でオリンピック日本代表となった太田海也選手についてお知らせしました。大学時代の挫折から、ひょんな出会いを通して大きな変化をとげた太田選手。人生は本当にわからないものですね。
日本発祥の種目ケイリン/KEIRINで日本選手が、オリンピックの表彰台に立つことを大いに期待しましょう。
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