カルーセル麻紀さんと言えば、昭和世代の人なら必ず知っている、ニューハーフ業界のパイオニアです。
今年81歳になりますが、12年ぶりに映画出演、しかも主演を果たしました。
マイナス20度、極寒の洞爺湖での撮影は、81歳の肉体には相当厳しいものでした。
平成16年、カルーセルさんは62歳で戸籍上も女性となり、パスポートも女性となったので、海外旅行での面倒がなくなりました。
本日は、カルーセル麻紀さんについて、こんなことをお知らせしていきます。
カルーセル麻紀のプフィール!
カルーセル麻紀の手術は1972年のモロッコだった!
手術費用は3000万円相当!
カルーセル麻紀の経歴とプロフィール
本名:平原麻紀(出生時の名前:平原鉄男)
生年月日:1942年11月26日(2024年現在 81歳)
出身:北海道釧路市
学歴:釧路北中学校卒、北海道釧路北陽高等学校中退
職業:タレント、元飲食店経営者
幼い頃から女性的趣味嗜好を持っていたため、近所では
「女になりかけ」といじめられていました。
14歳のとき、三島由紀夫の小説で、”同性愛”を知ります。
そしておなじころ、一世を風靡した丸山明宏(現・美輪明宏)の存在を知ります。これが、その後の人生を大きく転換するきっかけとなりました。
高校に入って演劇部に入ります。クラブの部長に「女の役をやってくれ」と言われ髪を伸ばし始めますが、教頭先生にバリカンで頭を刈られます。
そのことで 家出する決心がつきました。
高校を中退、家出をし各地のゲイバーなどを転々とします。15歳では雇ってもらえないため、18歳と偽りました。
1963年、21歳の時に芸能界デビュー。25歳で歌手デビュー。当時勤めていた店の名前「カル―ゼル」から名を取って、
「カルーセル麻紀」の芸名になります。
その後はテレビや映画にも出演。レギュラー番組を抱え、昭和の発展とともに、カルーセル麻紀さんの人生も花開いて行きました。
15歳で家を出た時、
「女の恰好するなら、二度と家の敷居をまたぐな」
と言った父の死後、カルーセルさんのレコードを父親が買い集めていたことを知って、感謝をしたと言います。
また母親はカルーセルさんの理解者でした。
「それがお前の人生なら、その道で一流になりなさい」
と応援しつづけました。
カルーセル麻紀の性転換手術はモロッコで1973年!
カルーセル麻紀さんが、性転換手術をうけたのは、女になりたかったからではない、といいます。
当時カルーセルさんは、ダンサーとして誇りをもっていました。小さな下着をつけステージで踊る時に、どうしても邪魔な物が付いているため、激しい動きができません。
カルーセルさんが30歳になる前、パリのクラブ歌手がモロッコで性別適合手術を受けたことを知ります。
そして、モロッコで手術を受けることを決心します。
そんな時、パリのポンヌフに住む日本人がゲイバーをオープンするということで、責任者として引き抜かれました。パリとモロッコは近いということもあり、念願の手術ができると、パリに飛び立ちました。
そして1973年、カルーセル麻紀さんが31歳の時手術を受けにモロッコへ行きました。
カルーセル麻紀の性転換手術はモロッコで!費用は3000万円相当!
実はカルーセル麻紀さんは、19歳のころ、東京歌舞伎町で簡単な手術を受けています。当時3万円でした。
しかし術後3日目、内出血で傷口が腫れあがります。自分でホチキスでとめ絆創膏を貼って、仕事をつづけたそうです。
ではモロッコでの手術は、いくらかかったのかというと、今の金額に換算して、なんと3000万円!郊外に一軒家が購入できる値段です。
30代前半で、そんな財産を築いていたカルーセルさんは、やり手の実業家ともいえますね。
カルーセル麻紀さんの友人が同じ手術を受けた際は、術後2日で退院。しかし、カルーセルさんは、術後の経過がひどく、40日間モロッコに滞在することになりました。
麻酔が強かったため、術後目が覚めるとすでに3日たっていました。その後、40度近い高熱が続きます。
傷口が化膿し、地獄の苦しみを味わいます。痛みを医者や看護師にうったえても、「サヴァ!(大丈夫!)」といって、全く相手にしてもらえません。
最後は自分でメスを手にし、化膿した皮膚を引っ張りだし切り取って、ガーゼを詰めたのです。
気絶しそうな激痛に苦しみ、壮絶な40日を過ごしたのです。
まとめ:カルーセル麻紀の手術はモロッコで1973年!費用は3000万円!
本日は、カルーセル麻紀さんの、手術についてお知らせしました。業界の第一世代のひとり、カルーセル麻紀さん。
81歳になってもさすがの存在感です。まだまだお元気でいてほしいですね。
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