2025年8月5日、ボートレース界のグレートマザーこと、日高逸子さんが引退を表明しました。
1985年5月にデビュー以来通算2539勝をあげ、62歳になるまで女子レーサーのトップを走ってきました。
日高さんには子供が2人います。過酷な選手生活で家庭を支えてきたのは、旦那の日高邦博さんです。
試合で留守が多い妻にかわり、専業主夫としてワンオペで家事・育児をこなし、妻を支えてきたのです。
本日は日高逸子さんの旦那の日高邦博さんについて、調査した結果をお伝えします。
日高逸子の経歴とプロフィール!獲得賞金は11憶4400万3198円!

卓越した技とスピードで観客を魅了し「グレートマザー」と呼ばれてきました。
獲得賞金は約11億4400万円と報告されており、女性レーサーとしても屈指の実績です。
宮崎県都城市で生まれましたが、両親が離婚。串間市の祖父母に育てられました。
小さいころから新配達や農作業をし家計を助け、高校は奨学金を得て卒業します。
この時に、忍耐力や根性を培ったのでしょうね。
その後信用金庫に勤めますが、1年で退行。
東京で、製菓学校や旅行専門学校にかよったり、アルバイトもしながら祖父母に仕送りまでしていたのです。
同時に自分に合う仕事をさがしていました。
22歳の時、偶然ボートレーサー募集のCM を観ました。その時の状況をインタビューでこう明かしています。(2013年6月福岡県男女共同参画センターあすばるより)
普段はほとんど見ないテレビをつけたら、ボートレーサー募集のCMで「ボートに乗って年収1000万円」という言葉が飛び込んできた。1000万円という金額に惹かれ、履歴書を送った。「ボートがどんなスポーツか知らなかったから、試験会場で走るボートを見たときは言葉を失いました。スピードと、次々とひっくり返って冷たい湖に身を投げ出される光景に…」。それでも33倍の難関を突破し、養成所へ入所した。 情報引用元:https://www/asubaru.or.jp/
養成所での過酷な練習で、恐怖心や自身喪失がピークに達し辞めたいと思ったことは何度もありました。
また、同期のエースが落水し顔面から血を流す大怪我を目の当たりにした時は、恐怖から辞めたい気持ちがぬぐえませんでした。
けれど、弱い気持ちに打ち勝つため練習に没頭しました。
福岡支部所属となり、ボートレース芦屋でデビュー。
3度目のレースで1着をとり、その後はどんどん成績を伸ばしていきました。
34歳で結婚。2児を出産も、2か月後には仕事に復帰。
夫に家庭を任せ、全力でレースに挑んできました。
同一SG出場20回、そして連続出場17年で共に女子歴代1位。
過去に4回『優秀女子選手』として表彰されています。
生涯獲得賞金の11億4400万3198円は女子歴代1位です。
【画像】日高邦博の学歴&経歴とプロフィール!

地元新潟県で高校卒業後、製薬会社就職で上京。
1年半後退社し、ツアーコンダクターを目指して旅行専門学校へ入学。
そこで後に妻となる日高逸子さんに出会いました。
邦博さんは専門学校卒業して企画会社に就職。逸子さんは競艇選手の養成学校に通います。
邦博さんは逸子さんに6回ほど(逸子さんがいうには8回)
付き合ってほしい
と交際を申し込みますが、振られてしまします。
長い友人の期間と経て交際し、1996年8月8日結婚。
結婚の条件は
競艇選手を続ける
日高姓にはいる
東京に住みたくない
でした。
邦博さんは家族で姓が異なるのは受け入れられませんでしたが、自分の姓にこだわりはありませんでした。
また、実家は長男がいたため邦博さんの両親は日高姓を継ぐことに異論はなく、むしろ
息子と結婚してくれてありがとう
と感謝されたそうです。
【顔画像】日高逸子の夫は邦博!専業主夫で子供は息子?ワンオペ育児!

邦博さんが逸子さんと結婚したのは、1996年8月8日34歳の時でした。
その翌年1997年3月に長女・優那が生まれ、邦博さんの主夫生活がはじまったのです。
逸子さんが競艇選手を続けることは結婚前からの約束で、また年収の格差がありました。
2019 年3月8日CHEER daysのインタビューで邦博さんがこう答えています。
「..…….略………当時、僕はごく普通のサラリーマン。彼女は、全レーサーの中でもわずか20%しかなれないA1級で活躍する選手。収入の格差は比べものになりません。
..…….略………
僕が仕事を辞めるのは当然の流れで…。それに、学生時代から僕の方が彼女にぞっこんだったこともあり、彼女にはなかなか逆らえなかったりして(笑)。惚れた弱みですね」
情報引用元:https://cheerdays.fcoop.or.jp/
主夫になることがどれほど大変なのか?という全く無知だったといいます。
そのため大した抵抗もなく「家事・育児」の世界にとびこみました。
子供が生まれてから2人は福岡へ移ります。
朝早くから夕方遅くまで育児と家事を一手に引き受けた邦博さん。
逸子さんのこだわりは
母乳で育てる
布おむつを使う
逸子さんは、全国各地のレースに出場するため、1か月に5~8日ほどしか自宅にいません。
その間に絞り出した母乳を、夫の邦博さんが解凍して飲ませます。
汚れた布おむつを洗うのも邦博さんの仕事。
俺はこんなことやっていていいのか…
と思うこともあったそうです。
長女が生まれて約1年半後の1999年7月5日には次女・萌南が誕生。
社会とのつながりをたたれ、ワンオペで知り合いもいない福岡の土地での2人の娘の育児。お互い実家が遠いため、頼れる身内もいない。
まさに、多くの母親が抱えている問題と同じですね。
レース中は、携帯やメールなどで連絡することは一切許されていません。公営ギャンブルなので不正を防ぐため、選手は外部との接触を絶たれます。
子供が体調不良の時は相談できる人がなく辛かった、と明かしています。
長女が生後4か月の時、夫が参加するために公民館での育児講座に逸子さんが申し込みます。
25人の若い母親の中で男性参加者は邦博さん1人。
とても恥ずかしかったことでしょう。
でもその時のママ友の繋がりで助けられたことも多かったのです。
近所のお店の情報や病院の情報など、子供に関する情報を教えてくれるやさしい先輩ママさんを頼りにしたそうです。
それでも自宅に子供達と自分だけのとき、もし自分に何かあったらと言うことを考えました。
4歳の娘に119番のかけ方を教えたそうです。
パパが息していません
と言うようにと教え、助けが呼べる練習させたと言います。
涙ぐましいですね。
学校行事もこなしますが、意外に大変だったのは
『お裁縫』
でした。
家事で大変だったのは裁縫。保育園とか小学校に入ると、体操着にワッペンやゼッケンをつけたり、手提げ袋を用意したりと、何かと縫いものをしなきゃいけないじゃないですか。掃除とか料理は完璧にできなくても『まぁいいか』で済みますが、裁縫となると見た目もあるし、そういうわけにはいきません(笑)。情報引用元:https://cheerdays.fcoop.or.jp/
娘2人が小学校から高校を卒業するまでは、毎日お弁当を作り続けました。
娘さん達が思春期を迎え生理的な変化を迎えた時は、父親ではわからないことが多く、そこは母親の逸子さんの出番。
邦博さんは夫として父親として家事・育児と深く関わり、妻の逸子さんの選手生活を支えました。
まとめ:【画像】日高逸子の夫は邦博!専業主夫で子供は娘2人!ワンオペ育児!
本日は、女子ボートレース界のグレートマザーこと日高逸子さんの旦那・邦博さんについて、調査した結果をおしらせしました。
1.日高逸子さんの旦那は邦博さん
2.邦博さんは逸子さんに6回交際を申し込んだが断られる
3.結婚の条件は『競艇選手を続ける、日高姓を継ぐ、東京には住まない』こと
4.当時逸子さんと邦博さんの年収は倍以上の差があったため、邦博さんが仕事を辞める
5.邦博さんは専業主夫として、長女の誕生以来家事と育児を担当
6. ワンオペ育児で心身共に落ち込んだことも
2人の娘はすでに成人して20代後半。
これほど父親が育児に関わってくれたことに感謝しているでしょう。
逸子さんの引退後は、夫婦でゆっくり過ごす時間がもてるといいですね。
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