水谷豊の若い頃はやんちゃだった?受験失敗で家出やスカートめくり!

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水谷豊さんは、子役時代から73歳の今まで、第一線で活躍していきました。

若いころの水谷さんももちろん素敵で、男性も女性も憧れてました。

そんな水谷さんが意外にも『やんちゃ』だったそうです。

本日は水谷豊さんが若い頃やんちゃだった、というエピソードを調査した結果をお届けいたします。

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目次

水谷豊の経歴やプロフィール!子役デビューは1967年のマグマ大使!

名前:水谷豊
生年月日:1952年7月14日(2025年現在 73歳)
出身地:北海道芦別市
職業:俳優、歌手、映画監督、実業家

8歳の時に東京立川市へ転居。

子供の頃の思い出には

「川で素っ裸で泳いだ」
「テレビという箱の中に入りたいと強く願った」

など自然体で無邪気な子供でした。

12歳の時に近所の女性から児童劇団「劇団ひまわり」のパンフレットをもらい、それがきっかけで劇団に入団しました。

劇団ひまわりには山崎努さんや岸田今日子さんら著名な俳優もおり、水谷さんは子役出身であることを誇りに思い、現場で同じ子役出身の俳優に会うと喜んでいたそうです。

しかし幼い頃は相撲の土俵入りにあこがれ、力士になりたかったこともありました。

1967年、フジテレビの特撮番組「マグマ大使」(第9話)で子役デビューします。

1968年16歳の時、手塚治虫原作のテレビドラマ「バンパイヤ」で主役に抜擢。800人の応募者の中から選ばれたのです。

そして1970年「その人は女教師」で映画デビュー

高校卒業後は大学に行くことを考えます。

自分にもっとあった世界があると思い、芸能活動を辞める決心をします。

しかし2年ほどして復帰。1972年のドラマ『泣くな青春』、『太陽にほえろ』の犯人役で出演しますが、のび悩みます。

1974年10月萩原健一主演の『傷だらけの天使』への出演が決定。

最初は火野正平に打診された役でしたが、スケジュールが合わず、他を探していた監督に、萩原健一さんが水谷さんを推薦したのです。

それ以来、水谷さんは萩原健一さんを

『永遠の兄貴』

だと語っています。

それから現在に至るまで、様々なヒット作を生み出しました。

カテゴリタイトル年代
ドラマ(代表作)バンパイヤ1968年
ドラマ傷だらけの天使1974年
ドラマ熱中時代1986年
ドラマ相棒シリーズ2000年〜現在(継続中)
映画その人は女教師1970年
映画少年H2013年
映画相棒 劇場版シリーズ2010年〜2017年(複数作品)
映画TAP -THE LAST SHOW-2017年
映画轢き逃げ 最高の最悪な日2019年
映画太陽とボレロ2022年

水谷豊は若いときやんちゃだった?大学受験失敗で家出!

画像引用元:X: https://x.com/n_e_m_u_m_u_/

18歳の時、大学受験に失敗します。

働きながら浪人生活をしますが、発作的に家を飛び出し家出を経験しました。所持金はたった400円

東京の高尾山や八王子、相模湖などを歩き回っていると、車を運転する見知らぬおじさんに声をかけられました。

おじさんの家で奥さんや赤ちゃんと一緒に夕飯までごちそうになり、一晩泊めてもらったそうです。

次の日、出る時には、軍資金を2000円くれるという何とも親切な人でした。

そのおじさんは、あの時の若者が水谷豊だと気づいているでしょうか?

そして水谷さんはそのお金で、東京立川へ戻りますが、実家にはいかずボーリングなどをして遊び、残りが数百円になったそうです。

その後は何を思ったか、パチンコ屋へ行きます。

そして数時間後、数百円だったのが6000円になりました!

それでも家には戻らず、新聞紙で寒さをしのぎ、公園で野宿していました。

そして次の日もパチンコいき、3日目には16000円になったのです。

山中湖の大きなレストハウス「山中湖サービスビスセンター」で住み込みアルバイトを約2ヶ月します。

その後ふと思い出し、母親に電話すると

こっちのことは心配しなくてもいいけど、そろそろ帰ってきたら

と言われ、帰宅することになりました。

実は母親は心配のあまり一気に白髪になっていたそうですが、戻って来た水谷さんに心配をかけないよう、慌てて黒く染めたのです。

水谷さんは後からその話を聞いたそうです。

学生の身で家を出て2か月も連絡しないとか、パチンコで元手を増やすとか、やんちゃぶりがわかるエピソードですね。

水谷豊は若い頃やんちゃだった?ドラマの現場でスカートめくり!

『傷だらけの天使』に出演していた

共演者のホーン・ユキさんは、撮影現場で水谷さんに

をされたことを語っています。

昭和の時代、小学生男子が良くやったイタズラです。

ホーンさんは

『どこか高校生のような茶目っ気のある方』

と言っています。

現代なら

と非難されますが、当時は

で片付いていたのですね。

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:水谷豊は若い頃やんちゃだった?受験失敗で家出やスカートめくり!

本日は水谷豊さんの若い頃はやんちゃだったというエピソードを、ご紹介しました。

今日のまとめ

1.水谷豊さんは北海道芦別市出身の俳優、歌手、映画監督、実業家
2.8歳で東京立川市に転居し、12歳で劇団ひまわりに入団
3.子役として1967年の特撮番組「マグマ大使」でデビュー
4.16歳で「バンパイヤ」の主役に抜擢され、その後も「傷だらけの天使」や「相棒シリーズ」など数多くのヒット作を生み出した
5.大学受験に失敗して、発作的に家出をする
6.見知らぬ人にもらったお金2000円を、パチンコで16000円にした
7.立川に戻っても、家に帰らずしばらく公園で野宿した
8.傷だらけの天使では共演者のホーンユキさんのスカートめくりをしたという話も
9.「高校生のような茶目っ気があった」とホーンさんの評

当時は軽いいたずらも「やんちゃ」として許されていた時代でした。

こうした若い頃の経験が、水谷さんの俳優としての魅力につながっているのですね。

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この記事を書いた人

大阪出身。通訳&マーケティングの仕事がら文章をわかりやすくまとめることが得意。このサイトでは、多くの方々の気になる話題にお答えしていくため、リサーチにぬかりはありません。ジャズとオペラが好きで自らも歌うアラカン寄りのアラフィフ。

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