2025年8月7日、人気トーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系・13時放送)にサヘルローズさんが4年ぶりに出演します。
イラン・イラク戦争で孤児となって児童養護施設で過ごし、母親と共に日本へ渡ってきたサヘルさん。
2024年に出版された著書では、自身の秘められた過去や苦労、そして強さが綴られており、多くの読者に勇気を与えました。
さて、サヘルさんは結婚相手がいません。独身です。
美人だしすてきなのに、なぜ旦那がいないのでしょうか?
母親に
「結婚してほしくない」
と言われたからという話がありますが、本当でしょうか?
本日は、サヘルローズさんに結婚相手がいない理由は母親が原因か、について調査した結果をお知らせします。
サヘル・ローズの学歴&経歴とプロフィール!

4歳の時、イランとイラクの争いで孤児となり児童養護施設で育ちました。
1993年8月13日、養母の婚約者の留学先だった日本に移住します。
しかし間もなく住むところがなくなり、しばらく母娘で路上生活を強いられたのです。
学校の給食のおばちゃんが自宅に泊めてくれたり、母親の仕事をさがしてくれたりしたおかげで一難を乗り越えました。

しかし言葉もわからない外国での暮らしは、苦労の連続。ギリギリの生活でした。
日本語を習得しながら苦労の末に定時制の園芸高校へ進学。
高校では栽培した野菜は持って帰ってよいため、食費が節約できることがうれしかったと語っています。
このころからドラマなどの外国人エキストラとして、芸能活動を始めます。
高校3年生の時、ラジオ局で募集していた『日本語の話せる外国人』に応募。J-WAVEで史上最年少リポーターとなりました。
勉強が遅れていても恩師の熱心な指導により東海大学の電子情報学部に合格。ITを専攻し、プログラミングを学びました。
2006年1月からテレビ朝日の「スーパーJチャンネル」の『新東京見聞録』コーナーで、約10年間リポーターを務めます。
その後女優・タレント、モデル、リポーターとして活躍。
特技は絨毯織りや滝川クリステルさんのモノマネ、趣味はテニスや水泳、アーチェリーなど多彩です。
主演映画『冷たい床』は様々な国際映画際に出品され、ミラノ国際映画際では最優秀主演女優賞を受賞しています。
2012年国際人権NGO『すべての子供に家庭を』の親善大使
難民キャンプや孤児などの支援活動を続けています。
2020年アメリカの人権活動家賞を受賞
2024年は初めて映画監督に挑戦。タイトル『花束』では、児童養護施設出身の若者8人が自らの体験を語っています。
サヘル・ローズの結婚相手は誰?旦那がいない理由は母親に反対されたから?

2025年4月30日プレジデントオンラインのインタビューで、母親に
「結婚してほしくない」
と言われたと明かしています。
しかしそれは、「男性に傷つけられてほしくない」という母としての気持ちだ、とサヘルさんは説明しています。
お母さんは私に、『絶対に、結婚してほしくない』って、言葉にして言っています。お母さん自身が結婚して苦しんだ経験をしているから、ここまで大変な思いをして育てた娘に、同じ思いをさせたくないって言うわけです。 情報引用元:https://president.jp/
養母は愛情深く育ててくれましたが、結婚そのものを禁じたわけではなく、彼女の人生を慎重に見守ってきたとのこと。
サヘルさんはむしろ、過酷な幼少期の体験や多忙な芸能活動、自己実現への意欲が結婚を先延ばしにしている理由の一部で、このようにいっています。
だけど、私としたら、逆に失敗したっていいんです。それはもう、自己責任でいいからって思うんです。だけど、『あなたが悲しむ姿は、絶対に見たくない』と、お母さんは言う。それって違う意味で、『私は、悲しいんだけどな』ということに、お母さんは気づいてくれない」情報引用元:https://president.jp/
母親想いのサヘルさんですね。
サヘルさん自身の人生も大切にしながら、未来のパートナーとの出会いがあるといいですね。
サヘルローズの母親は養母!母親の現在は?

サヘル・ローズさんの母親は実の母親ではなく養母です。
サヘルさんは14人いた家族と別れ別れになりました。
出生年や名前も不明となり、実母の記憶はほとんどありません。
養母のフローラ・ジャスミンさんは、テヘラン大学在籍中、救護隊ボランティアとしてサヘラさんの町で救助活動をしていました。
7年後に養護施設で再開したサヘルさんを会って、養女にすることを決めたのです。
しかし、比較的裕福な家庭に育ったフローラさんは両親に、養女のことを激しく反対されます。
その結果、両親と絶縁状態で日本へ行くこととなりました。
日本で留学中だった婚約者は、最初は優しく受け入れてくれますが、躾と称してサヘラさんに厳しくあたります。
そして、最終的に2人は追い出されたのです。
養母は日本で離婚や生活困難を経験しながらも日夜働き続け、サヘルさんを育てました。
日本で法学を学び、入国管理局や移民局や裁判所、警察署や第二東京弁護士会で、働きました。
通訳やイラン関係のコーディネートの仕事をしたようです。
現在も養母は日本でサヘルさんと暮らしています。
そして今ではサヘルさんが大黒柱となって、母親と生活を支えています。
2022年にフローラさんの弟が他界しました。1周忌を迎えてもフローラさん悲しみは癒えませんでした。
あれほど強かった母親が今ではすっかりサヘルさんに頼る毎日だと言います。
自分の考えを持っていた人なのに、『これ、どうしたらいい?』って聞いてきますが、『でも、それ、お母さんが考えなきゃ』としか言いようがないことは多いんです。私がいないと何もできなくなってきているのが、逆に心配になるぐらい。変わっちゃったお母さんを見て、すごく寂しいけれど、でも、変わりたかったわけではなくて、孤独が、お母さんを変えちゃったんだなって思うんです」情報引用元:https://president.jp/
家族のいない異国で娘を育てるために、強くなったと同時に深い孤独を経験しました。
そんな日々が、母親を変えてしまったとサヘルさんは言います。
しかし、母親への感謝の気持ちをいつも語っています。養母の存在は彼女の人生そのものを形作る大黒柱なのです。
まとめ:サヘルローズの結婚相手は誰?夫がいない理由は母親に反対されたから?
本日はサヘル・ローズさんの結婚相手について、調査した結果をお知らせしました。
1.サヘルさんは、孤児として4歳のときから児童養護施設で育った
2.フローラ・ジャスミンさんが養母となり、サヘルさんを連れて日本へ移住
3.貧しく苦しい日々が続いたが、高校生になって外国人エキストラのアルバイトを始める
4.大学ではITを学んだ
5.番組リポーターやタレント、女優など活動の幅を広げる
6.養母に「結婚してい欲しくない」といわれたがそれは母親自身結婚生活で傷ついたことが原因
7.サヘルさんは結婚しない理由は、今まで多忙で結婚を考える余裕がなかったから
8.今サヘルさんは自分と母親の生活を支え、母親にとっては頼りになる大きな存在となっている
サヘルローズさんの人生は波乱と努力に彩られ、養母との深い絆に支えられています。
今後の活躍と幸せを、心から応援したいですね。
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