「私が見た未来」という漫画が話題になっています。
作品を描いた漫画家のたつき諒さんは少女漫画の作家で、この作品は自身が見た夢を元に書いています。
そしてこの漫画が近年ベストセラ―となり、年齢は70歳たつきさんにとっても驚きの結果となりました。
さて本日は「私が見た未来」の漫画家・たつき諒さんのプロフィールとベストセラー作家になるまでのいきさつを調査した結果をお伝えしていきます。
私が見た未来の漫画家はたつき諒で年齢は70歳!予知夢を記録する作者のプロフィール!

名前: 竜樹諒(たつき りょう)
性別:女性
生年月日:1954年12月2日(2025年 70歳)
出身地:神奈川県横浜市
学歴:横浜商業高校商業科卒
高校時代はテニス部の部長を務めるなど文武両道でしたが、17歳の時に交通事故で右足を負傷。
卒業後に
「家でできて、生きた証を残せ、顔を出さずに済む仕事」
として漫画家を志望します。
漫画家のアシスタントをして技術を磨きながら、自分の作品を出版社に持ち込んでいました。
里中満知子、ささやななえこ、山岸凉子、池保子、美内すずえなど著名な漫画家のアシスタントを務めました。
デビューは1975年。1999年に一度引退しますが、2021年から活動再開。
漫画家のたつき諒さんは、自身の夢を「夢日記」として記録し、それをもとに1999年に『私が見た未来』という漫画を出版しました。
この作品の表紙に「大災害は2011年3月」と記されており、12年後に起きた東日本大震災を予言していたのではないかと話題になりました。
しかし本の中に、この災害に関する記述は登場しません。
たつきさんは夢日記を個人的な記録として楽しんでいましたが、変わった夢ばかりを見ていたわけではありません。
そして、たつみさんの作品はスピリチュアルな能力に基づくものではなく、周囲の人々から聞いた体験談や自身の夢を素材にして描かれています
- 『私が見た未来』
- 『私が見た未来 完全版』
- その他、『人形物語 ドールストーリー』など多数の少女漫画作品を発表。
たつき諒の予言書が中古で50万円に!

たつきさんは1978年ごろから夢を記録し始めます。
これが後、1999年に出版された「私が見た未来」の元になります。
そして同年、たつき諒さんは漫画家を引退しました。
その後、2011年3月を過ぎて本が話題になりますが、本はすでに絶版だったため入手困難となります。
そのため古本に10万以上の値がつき、一時は50万円に跳ね上がったこともありました。
たつき諒の「なりすまし」で完全版を再発刊!引退後の復帰でベストセラー作家に!

たつき諒さんの漫画が話題となり「なりすまし」が現れます。
ありもしない災害の予言をしたり、「私がみた未来」の復刻版出版計画をするなど、かなりの暴挙に出ました。
そのため、たつきさんは飛鳥新社と協力。「なりすまし犯」の計画を中止させることに成功。
以前の本の内容に加え、書き下ろし漫画を追加した「私が見た未来・完全版」を2022年に発刊しました。
すると発売後、わずか1か月半で40万部を売り上げるベストセラーとなりました。
ただし、この予言の科学的根拠はなく、専門家も予測の正確性には疑問を投げかけています。
防災アドバイザーの見解では、日頃からの防災対策が重要であると強調しています。
特に大津波に備えるには標高100メートル以上への避難がもとめられますが、巨大隕石による津波などの場合は対策が難しいそうです。
まとめ:たつき諒の経歴は?年齢70歳のベストセラー作家で中古本が50万円!
本日は「私が見た夢」の作者・たつき諒さんの経歴についてお知らせしました。
結果をまとめると以下の通りです
1.たつき諒さんは少女漫画家で現在70歳
2.日本を代表する漫画家のアシスタントを経て、1975年デビュー
3.1999年「私が見た未来」を発刊後、引退
4.自身のオリジナル本が50万円の値をつける
5.たつきさんの「なりすまし」が出現したため復帰。2022年「私が見た未来・完全版」を発刊でベストセラーに!
一度引退したたつきさんが、再び筆を執り、ベストセラーを生むことになったいきさつがわかりますね。
しかし、この漫画の内容には科学的根拠はありません。あくまでも、作者の夢の話に過ぎません。
それにしても、世間にこれほど大きな影響を与えるとは、たつみ諒氏は夢にも思っていなかったのではないでしょうか。
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