自民党総裁選が、話題になっています。
過去最多9人の候補者のうち、小泉進次郎次氏がの政策に関する発言と同時に、家庭環境についても注目されています。
ご存じの通り進次郎氏の両親は早くに離婚、父子家庭で育っています。
なぜ母親は離婚したのでしょうか?
今日は小泉進次郎氏についてこんなことをお知らせしていきます。
進次郎氏の母親は誰?
母親と父親の離婚理由は?
嫁姑に、小姑との確執があった?
【画像】小泉進次郎のプロフィール!
本名:小泉進次郎
生年月日:1981年4月14日(2024年現在 43歳)
出身地:神奈川県横須賀市
学歴:関東学院大学経済学部経済学科卒
コロンビア大学大学院修了
職業:政治家
所属:自民党
【画像】小泉進次郎の父親は小泉純一!母親は宮本佳代子!
小泉進次郎氏の父親は、元総理大臣の小泉純一朗氏です。
進次郎氏の両親は、1977年、佳代子さんが青山大学3年生のとき、お見合いで出会いました。小泉氏は佳代子さんの14歳年上。翌日にはプロポーズされました。
家柄も学歴も申し分のない佳代子さん。その容姿も美しく、最初から、結婚するつもりでお見合いをした小泉純一郎氏のお眼鏡にかなったということでしょう。
実際の結婚は1978年で、福田赳夫氏の媒酌で結婚しました。その時、佳代子さんのお腹にはすでに長男が宿っていました
小泉純一郎のプロフィール
本名:小泉純一郎
生年月日:1942年1月8日(2024年現在 82歳)
出身:神奈川県横須賀市
学歴:慶応義塾大学経済学部卒業
職業:政治家
所属:自由民主党
1972年の衆議院議員選挙で初当選。
竹下政権で厚生大臣として初入閣。以後。宇野政権・橋本政権では、郵政大臣に任命されます。
第87ー89代内閣総理大臣です。
宮本佳代子のプロフィール
本名:宮本佳代子
生年月日:1957年生まれ (2024年68歳)
出身地:神奈川県鎌倉市
最終学歴:青山学院大学
血液型:B型
宮本佳代子さんの祖父は、元エスエス製薬会長の泰道照山さん。
幼稚園から大学までを青山学院で過ごした才色兼備のお嬢さま。非の打ち所がない宮本佳代子さんです。
【画像】小泉進次郎の母親と父親の離婚理由は?姑と小姑との泥沼争い❔
大学を卒業したばかりで、社会経験のない佳代子さんは、政治家の妻になることに不安がありました。
また佳代子さんの父親の泰道氏は、この結婚に反対でした。そのため
「出て行くならその身体一つで行け!」
と絶縁寸前までいきました。
しかし小泉純一郎氏の
「何も心配しないでいい」
という言葉を信じて、小泉家に嫁ぎます。
しかし二人は、4年後離婚する道を選びます。その主な原因は、姑・小姑との関係が上手くいかなかったのでは、と言われています。
離婚前(1978年ー1982年)
小泉家は、姑と純一郎氏の姉達が一切を仕切っていました。政治家一家の使命として、純一郎氏が政治の仕事に集中できるよう、家の事はもちろん、選挙活動も取り仕切っていました。
佳代子さんは、政治家の妻として教育されます。まだ赤ん坊の進次郎氏を背中に背負ったまま、応援演説で地元を走り回っていたこともあります。
しかし、まだ年若い佳代子さんは、政治家の妻としても、小泉家の嫁としても未熟で、その二人の女性に太刀打ちできなかったようです。
2001年8月18・25日号の「週刊現代」では、佳代子さんと義家族たちの関係がこのように書かれていいます。
政治家に必要な”票とカネ”を集めることを知らない嫁として小泉家のメンバーから疎んじられ、また、ただ義家族と同居するだけではなく生活費を夫・純一郎からではなく義姉から受け取っており、20歳以上も離れた義姉たちに「口答え一つ許されず服従するしかなかった」情報引用元:女子SPA!
高学歴で、発言力もあり、自分を貫く強い意思をもつ佳代子さんにとっては屈辱的な毎日だったにちがいありません。
純一郎氏との間には3人の息子が誕生していますので、夫婦仲がむしろ良かったと考えられます。
しかし、その仲の良い夫婦が離婚を選ぶほどに、姑と小姑たちとの問題が深刻だったのでしょう。
そして、純一郎氏を煩わせたくないという佳代子さんの思いが、余計に自らを孤独にさせていったのでしょう。小泉家に佳代子さんの居場所はありませんでした。
最後は追い出されるように離婚しました。泣く泣く二人の子供をおいて、小泉家を去りました。
その時佳代子さんのお腹には、3人目の息子が宿っていました。
離婚後(1982年以降)
社会経験のないお嬢さまが、シングルマザーで子供を育てるのは並大抵ではありません。当時は離婚した女性に世間は寛容ではありません。
三男を出産後、半年ほどで不動産グループ会社に入社します。
1か月の猛勉強で建物土地比嘉主任者(現在の宅地建物取引士)に合格。不動産業界でキャリアを積み上げました。
今では「伝説の不動産コンシェルジュ」とよばれ、大手企業の顧問を務めています。
離婚後は、小泉家との関わりを絶つという約束だったため、小泉家の事について、一切口にしたことはありません。
2001年、小泉純一郎氏が総理大臣に就任した時は、取材が押し掛けたこともありましたが、取材をすべて断っています。
当時三男の佳長さんには、このような厳しいことを言っています。
「父親が有名でも、あなたとは関係ない。あなたの母はいちサラリーマン。勘違いしないで生きていきなさい」情報引用元:https://www.j-cast.com/
また、2019年9月13日のNEWSポストセブンでは、佳代子さんの友人がこのように述べています。
「離婚後、佳代子さんは孝太郎さんや進次郎さんと一切会わず、小泉家との確執が報じられました。でも彼女としては、政治家一族である小泉家を慮り、“会って迷惑はかけられない”とわが子に会いたい気持ちを抑えて身を引いたんです。佳代子さんは離婚してから、小泉家を悪く言ったことが1度もありません。“あちらはあちらの事情があるでしょう”と言える強い女性ですから」
情報引用元:https://www.news-postseven.com/
母親と小泉家の息子二人が再会したのは、約30年後の2013年です。
佳代子さんが一人で育てた三男・佳長さんの結婚が決まった年でした。
しかし進次郎氏は頑なに、佳代子さんを「他人」として振舞いました。「母親」と認めると、育ての親である伯母・道子さんへの裏切りになると思ったからです。
しかし、2024年の総裁選出馬にあたり、所見発表演説会では「今年初めて実の母に会いに行った」と明かしました。
今後は母と息子三人が、何の遠慮もなく会える機会が増えていくでしょう。
まとめ:【画像】小泉進次郎の母親の離婚理由は?姑と子姑とのドロ沼の争い?
本日は、自民党総裁で注目されている小泉進次郎氏の母親について、お知らせしました。
仲が良かったはずの父親と母親の離婚理由について、嫁姑・嫁小姑達との確執があったとの見解です。
小泉家の女性たちが仕切る家庭にお嫁に行った宮本佳代子さんは、子供を産むだけで自分の立場がなく、寂しい思いをしていたのだと想像されます。
進次郎氏が自民党総裁に選ばれれば、宮本佳代子さんも、三男の佳長さんも世間の注目を浴びることになるかもしれません。
しかし、すでにわだかまりはなく、家族としての絆をとり戻した様子です。これからは失った時間をとりもどし、家族団らんを大切にしていかれるとよいですね。
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