【画像】コナーオレアリーの母親は柄沢明美!元サーファーチャンピオン!

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世界トップサーファー22名の内の1人コナー・オレアリーさん。

2024年サーフィンの世界選手権にワールドゲームスで、日本人選手としてデビューを果たしました。 オーストラリア出身ですが、正式に日本国籍を取得、日本代表としてパリ五輪に出場します。

本日は、プロサーファーのコナー・オレアリーさんについて、こんなことをお伝えしていきます。

コナーオレアリーの母親は日本人で元サーファー?
コナーオレアリーは母親がサーファーを教えた?
母親とコナーオレアリーはどんな親子?

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目次

オリンピック日本代表コナーオレアリーのプロフィール

本名:コナー・カラサワ・オレアリー
出身:オーストラリア、ニューサウスウェールズ州クロヌラ出身
国籍:日本
年齢:1993年10月12日 (2024年現在30歳)
身長:約185㎝ (6フィート1インチ)
体重:約85㎏(187ポンド)
日本代表デビュー戦:2024年ワールドゲームズ
好きな和食:納豆

大きな体を活かしたパワーサーフィンが得意なコナーオレアリーさん。

2017年に初めてチャンピオンシップ・ツアー入りを果たし、ルーキーオブザイヤーを獲得

しかし次の年にランキングが大きく下落。そこから復活、2022年に自己最高の世界ランク9位を記録!

2023年は11位にランキング、世界のトップサーファーの一人として注目されています。

191㎝と大きな体ですが、子供の時は小さかったため、両親に連れられていった海は「波が怖かった」といいます。

9歳の時、休暇で訪れたヌーサの小さな波でのサーフィンが「面白い」と気づきます。
15、16歳でジュニア大会に出場、その後体が急に大きくなりだし、20歳になってプロになろうと考えます。

2020年、コロナの影響でツアーが中止。

翌年のツアーでは思うような結果が出せず、引退を考えていた時、サーフィンが競技として初めて採用された東京オリンピックが開かれました。

それまでサーフィン競技としてのオリンピックにあまり興味がありませんでした。

しかし、近所に住むオーストラリア代表オーウェン・ライトが銅メダル、若いとき頃から共に技術を磨いてきた日本代表の五十嵐カノアが銀メダルを獲得すると「オリンピックの重みを知った」といいいます。

2022年5月、日本移籍のために動き始めます。2024年3月パリ五輪日本代表に内定

母親の故郷である日本。子供の時は毎年帰っていた日本。最初に話せるようになったのは日本語

日本人の友達のサーフィンを見てサーフィンを学んだため、コナーさんは自分のサーフィンのルーツは日本と断定します。謙虚さや礼儀正しさやリスペクトする想いなどを学んだと言います。

コナーアレアリーさんにとって、日本移籍という選択は自然なことなのでしょう。ちなみにコナーさんの本籍は母親の実家がある東京都国立市だそうです。

オーストラリア在住の日本人プロサーファーが、偶然コナーオレアリーさんに出会い、インタビューをした動画がこちらです。0:44からコナーオレアリーさんが登場します。

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コナーオレアリーの母親は柄沢明美!プロサーファー日本女子チャンピオン

画像引用元:https://surfmedia.jp/2023/07/06/connor-oleary-from-australi-to-japan/

柄沢明美

1960生10月30日生まれ(2024年現在64歳)
東京出身で現在はオーストラリア・クロヌラ在住
1985年度のショートボード女子グランドチャンピオン

子供の時から負けず嫌いの明美さんがサーフィンを始めたのは20歳の時。

それまでスキーや体操を子供に教えていたのですが、自分でコントロールできないのが悔しくて、サーフィンにはまったといいます。

明美さんとコナーさんの父親フィンバーさんとの出会いは車の事故。プロサーファーとしてツアーを回っていた明美さんの車がスリップ、その時助けたのがサーフィンに熱中する地元のフィンバーオレアリーさんでした。

数年の遠距離恋愛を経て、二人は結婚。

今は長男コナ―さんと、13歳下の次男リクさん二人の母親です。専業主婦・子育てをしながら、地元の日本人の子供たちにサーフィンを教えてきました。

60歳を超える今も時間を見つけてはご主人と一緒にサーフィンに熱中されています。

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コナーオレアリーの母親は柄沢明美!母と息子のほっこりエピソード

コナーさんが子供の頃、母親の明美さんと父親のフィンバーさんサーフィンに行く時いつもコナーさんを連れていきましたが、サーフィンを強制することはありませんでした。

コナーさんがサーフィンに本腰をいれ始めると、明美さんは応援団長に徹しコーチ役は父親のフィンバーオレアリーさんが担当しました。

しかし母親と一緒にシドニーの日本人コミュニティーとの交流を続け、14歳になるまで明美さんに連れられて、毎年3~4か月は日本で過ごしました。

そのためコナーさんにはオーストラリアの友人と同じ数だけの日本の友人達がいて、サーファーとしてキャリアを積み、ツアー出場するコナーオレアリーさんを支援し続けています。コナーさんのWSLのコンテストジャージには、日本とオーストラリア両国の国旗がはいっています。

日本とこんなにも固い絆が結べたのは、母親と息子の強い絆ゆえ。母親譲りの負けん気の強さが自分にある、と語っています。

日本への移籍承認を受けた2023年9月は母親と共に来日、記者会見では仲の良い親子の様子を見せています。

画像引用元:https://surfmedia.jp/2023/09/09/connor-oleary-in-japan/

この来日時、二人は下田で開かれた「サーフタウン構想を考えるワークショップ」にゲスト参加し、オーストラリアのサーフィン文化や事情について語りました。

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まとめ:【画像】コナーオレアリーの母は柄沢明美!元サーファーチャンピオン!

本日は、オーストラリア出身のサーファー、パリ五輪日本代表コナーオレアリーさんのプロフィール、そして、元サーフィングランドチャンピオンの母親、柄沢明美さんとのエピソードについてお伝えしました。

謙虚な人柄とは違ってダイナミックなサーフィンをみせてくれるコナーさんのお母さんが日本人ときいて、とても親近感がわきました。

日本の若き有望なサーファーたちにとってのロールモデルになりたいと、語るコナーオレアリーさん。

こんな素晴らしいアスリートが日本に移籍し、日本代表となったことの驚きと同時に期待で胸が膨らみます。

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この記事を書いた人

大阪出身。通訳&マーケティングの仕事がら文章をわかりやすくまとめることが得意。このサイトでは、多くの方々の気になる話題にお答えしていくため、リサーチにぬかりはありません。ジャズとオペラが好きで自らも歌うアラカン寄りのアラフィフ。

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