2924年開催のパリオリンピック。早々に金メダルを獲得した日本代表選手の一人、加納虹輝選手。
東京五輪に続き、男子フェンシングの金メダル獲得に日本中が湧いています。
本日は加納虹輝選手について、こんなことをお知らせします。
加納選手の経歴と学歴!
加納選手がいつフェンシングを始めたか?
加納選手の今までの成績!
加納虹輝選手(かのうこうき)の経歴&学歴・高校とプロフィール!早稲田大学スポーツ科卒業!
本名:加納虹輝(かのうこうき)
生年月日:1997年12月19日(2024年現在 26歳)
出身:愛知県あま市
高校:山口県立岩国工業高校
大学:早稲田大学スポーツ科学部卒
身長:173㎝
種目:フェンシング、エペ
所属:日本航空
加納虹輝選手がフェンシングを始めたのは、小学6年生の時。2008年の北京オリンピックで、日本人で初めて銀メダルを獲得した太田雄貴選手をテレビで観戦。それがきっかけで近所のフェンシングクラブに通いだしました。
中学までは、同クラブでフェンシングを続け種目はフルーレでした。それまでにも大会には出場していたようですが、詳しい情報は非公開です。
大きな結果はなくても、加納選手は小学生のころから、誰よりもフェンシングを楽しんでいました。
地元愛知県のあま市立美和中学校卒業後は、山口県立岩国工業高校に進み、フェンシングを続けます。
高校の監督だった本間邦彦教諭がエペを勧め、フルーレからエペへと転向。そこから加納選手は一気に表舞台へ登場します。
エペの基本動作である、「突く」練習にうちこみ、テストギリギリまで練習を続けていたそうです。
高校1年の時、U17 代表選考大会で優勝。
2年の時はインターハイでエペ個人2位。そして3年時には優勝をかざります。
早稲田大学スポーツ科にはスポーツ推薦で入学。またスポーツや音楽などの分野で傑出した学生を応援するリクルート財団の奨学生となります。
大学入学後は、日本代表選手として世界で名を知られることになります。そして東京五輪を目標にフェンシングのトレーニングに励みます。
卒論は『フェンシング(エペ)の突き動作時における上肢の筋活動量』。自分の専門種目エペを極めるための、上半身の筋力の重要性についての研究です。
オリンピックでメダル獲得のための研究でもありました。
2020年早稲田大学卒業後は日本航空株式会社に入社します。
【画像】加納虹輝(フェンシング・エペ)今までの成績
加納虹輝選手の2017年から最近までの戦績はこちらです。
2017 | ワールドカップフランス | エペ個人3位 |
2018 | アジア選手権 | エペ個人3位 |
2018 | アジア大会ジャカルタ | エペ団体優勝 |
2019 | ワールドカップドイツ | エペ個人3位 |
ワールドカップアルゼンチン | エペ団体優勝 | |
2020 | 東京五輪 | エペ団体優勝 |
2022 | 杭州アジア競技大会 | エペ個人/団体優勝 |
東京五輪の団体金メダルでは、出身愛知県あま市の名古屋鉄道木田駅北口に記念のゴールドポストが設置されています。
そして2024年、パリオリンピックでの個人金メダル獲得です!
【画像】加納虹輝(フェンサー)の優勝の瞬間!
決勝の対戦相手は、地元フランスのヤニク・ボレル。すでに2名の日本人選手、見延和靖と山田優を破っていました。
「3人目の日本人が負けるわけにはいかない!」との決意で対戦。
完全アウェーで、やりにくい部分もあったようですが、試合に集中、見事金メダルを獲得。名前の通り金メダルに輝いたのです。
日本フェンシング界の期待を背負った重圧もありながら、期待通りの結果を見せてくれた加納虹輝選手の素晴らしい試合でした。
まとめ:【画像】加納虹輝の経歴は?早稲田大学卒で東京五輪の金メダリスト!
本日は、2024年パリ五輪のフェンシング・エペ個人で見事金メダルに輝いた、、加納虹輝選手の経歴と過去の戦績、そして、優勝の瞬間を見てきました。
かつて、フェンシングを始めるきっかけとなった、日本フェンシング界の先駆者、太田雄貴を超える金メダルという成績を残した加納虹輝選手は、新たなレジェントとなって世界のフェンシングの頂点に立ちました。
これからも加納選手の活躍から目が離せませんね。
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