小室佳代さん。
言わずと知れた、小室圭さんの母親で秋篠宮家長女・眞子さんの義理の母です。
自ら発信することがほとんどなかった小室佳代さんが、本を出版するとのニュース。
自伝エッセイということで、生い立ちについても触れられると予想されます。
今回は、その自叙伝の出版に先駆け、小室佳代さんの生い立ちについて、お知らせしていきます。
小室佳代のプロフィールと生い立ち!父親は工場勤務で貧困の子供時代!

名前:小室佳代(旧姓:角田佳代)
生年月日:1966年8月(2025年時点 58歳)
出身地:神奈川県藤沢市
小室佳代さんは、小学3年生のころ神奈川県藤沢市に引っ越す前は、母親が勤務する「家事代行サービス」の社員寮に、家族で住んでいました。
それ以前は、お寺の一間を借りて生活していたそうですが、その部屋は3畳しかなかった、と言います。
社員寮の取り壊しが決定となり、藤沢市に引っ越します。
その時、佳代さんは小学3年生でした。その時の家族構成は、祖母と両親(角田国光・八十子)と弟の5人でした。

父親は横浜北区の東和製作所で勤務。作業員として働いていたということです。
小室佳代の生い立ちが壮絶!母親が闘病を苦に宗教に入信?

母親の八十子さんは病弱で、佳代さんが生まれた頃にリウマチを発症します。
佳代さんの弟を出産したころにはリウマチは全身に広がり、日常生活が困難な状態でした。
重い病気の母親をかかえ、佳代さんは積極的に家事を手伝ったそうです。
母親は長期の闘病を苦にしたためか、後に「大山ねずの命神示教会」の信者となります。父親も佳代さんも同宗教の信者だと報じられています。
医療費に加え宗教団体へのお布施、2人の子供の学費。暮らしは楽とはいえなかったのでしょう。
佳代さんの子供時代は、母親の病気と金銭面で苦労したようです。
母親はすでに他界しています。
小室佳代と夫・小室敏勝との結婚と別れ!

1990年24歳の時、小室圭さんの父親・敏勝さんと結婚しました。
出会いは、大学のサークルでした。
小室敏勝さんは横浜市役所の職員で、住宅事業課に所属。市営住宅の建て替えや立ち退きに関する仕事をしていました。
1991年に息子・圭さんを出産します。
家族3人の幸せな日々が永遠に続くかのように思われました。
2002年3月、夫・敏勝さんが自ら命を絶って亡くなりました。
2020年12月19日の週刊ポストの記事から抜粋します。
敏勝さんが未明に自宅を出て行ったきり、戻ってこない。パジャマ姿にスリッパを履いたままの状態で、24時間以上がゆうに経っている。知人の協力を得て自宅周辺をいくら捜しても見つからない……。翌日、立川警察署から電話が入った。多摩川近くで見つかったという。
小室家の関係者によれば、敏勝さんは勤務先の部署異動によって希望の仕事ができず、上司との折り合いもつかないことに悩んでいた。さらに妻の佳代さんと敏勝さんの母親の間に嫁姑問題も発生し、間に入った敏勝さんは困り果てていた。情報引用元:https://www.news-postseven.com/
結婚生活は12年でした。
11歳の幼い息子を女手一つで育てなければいけなくなったのです。
まとめ:小室佳代の生い立ちが壮絶!母親が闘病で宗教に傾倒し困窮の学生時代?
本日は小室佳代さんの生い立ちについて、お知らせしてきました。
病気の母親をかかえ、家事や恐らく弟の世話も手伝っていたのでしょう。
苦労の子供時代でした。
そして結婚して安心できると思ったところで、夫は幼い息子をおいて他界。
現在佳代さんは年老いた父親との2人暮らしですが、息子・小室圭さんはニューヨークで弁護士となり、経済的な余裕ができました。佳代さんの暮らし向きは良くなったのではないでしょうか。







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